日本の戦国時代と陰陽五行

 

こんにちは、トレーナーの伊藤道生です。

昨日は寒かったですね!

11月中旬並みの寒さだったようですが、皆さん体調は大丈夫ですか?

僕は昨日時間があったので、健康診断に行ってきました。

今年で40歳になったので、区の方から健診を受けましょうとお知らせがきていたので、行ってきました。

僕の年齢だと、がん検診も受けられる種類が決まっていて(全額自費でしたらなんでも受けられますが…)、今回は胃・肺・大腸がんの3種類でした。

その結果はしばらく時間がかかりますが、それ以外の尿検査・胸部X線・心電図などは異常なしで問題ありませんでした。

これからは定期的に健康診断を受けていきたいと思っています。

皆さんも、健康が全ての土台ですから、機会があったら積極的に受けましょうね!!

 

さて今日ですが、前回中国の王朝と陰陽五行の関係について書きました。今回は、日本の戦国時代と陰陽五行の関係はどうだったのかについて少し書いてみたいと思います。

 

日本では奈良時代、平安時代のイメージが強い陰陽道ですが、その思想は、実はそれよりも早くに日本に伝わっていました。

日本に伝わったのは古墳時代といわれていますが、その時には陰陽五行思想を理解する人が少なくて、飛鳥時代に入り、高句麗から慧慈(えじ)という人が渡来して、本格的に仏法と陰陽五行思想を日本に広めました。

その後、陰陽五行思想と日本古来の呪術・占術が組み合わさって独自に発展したものが『陰陽道』です。

陰陽術を使う陰陽師達は、平安時代に最も活躍していました。
平安時代には国の運営機関の一つに『陰陽寮』という部署が存在し、そこで行われる占いなどが、国の運営に大きく関与していました。

 

平安時代は隆盛を誇りましたが、戦国時代の頃の陰陽師はどうだったのかというと、鎌倉、室町時代になると、朝廷の政治力が弱まり、官僚であった陰陽師もまた、その勢力を失いつつありました。

それでも陰陽寮による占いの結果は気にされていたようで、悪霊や妖怪騒ぎも当時はまだあったので、そういった時には陰陽師や巫女、僧などが活発に動いていたようです。

鎌倉時代の後期にあった『元寇』(げんこう)の時も、日本の窮地を救おうと多数の陰陽師が祈祷・呪術を行ったという記録が残っています。

 

そして戦国時代、陰陽師の立場や役割は非常に低くなっていました。

ただし、民間では怪しい祈祷や占術も含め陰陽道が広まり続けていて、かの武田信玄の軍師だった『山本勘助』をはじめとした戦国時代を代表するような軍師たちも、陰陽道に由来する知識を持って、戦を有利にしようとするものが多かったそうです。

その後、天下人となった『豊臣秀吉』は陰陽師を嫌って弾圧したため、宮廷内の由緒正しい陰陽道は終わりを告げました。

でも一説によると、弾圧をする前に秀吉は陰陽道を活用しようとした節があるようです。そのお話は次回。

 

戦国時代が終わり江戸時代に入ると、陰陽道は『徳川家康』によって復興しました。

徳川家康は江戸の街づくりに、陰陽道に伝わる『風水』や『五行』を用いたからです。

流罪となっていた陰陽師(土御門家)を呼び寄せて陰陽師の家柄を復興させると、江戸とその周囲の施設の建設・配置に陰陽道を元にしたアドバイスを受けました。自らの墓である『日光東照宮』も、方術の影響を色濃く受けています。

その後、陰陽寮は小規模ながら江戸幕府に設けられ、方術の研究や占いなどの他に、天文学や暦の作成なども任され、そのまま幕末まで続くことになります。

 

朝廷から幕府に権力が移ることによってその権威は低くなっていきましたが、民間に広まったり保護する人が登場するなどして、今日まで続いています。

現在でも、季節の行事やお祭りなど、日常生活で知らず知らずのうちに触れている機会がありますので、少しずつ形は変わるかもしれませんが、これからの世代にも繋がっていって欲しいと思います。

 

 

 

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