年祝(としいわい)
私ごとで恐縮ですが、明日9月5日は僕の誕生日で、41歳になります。
ありがとうございます、プレゼントは随時受け付けておりますので、いつでもお待ちしております。
そこで今回は、『年祝』(としいわい)について書いてみたいと思います。
これらの年祝はいつ頃から始まったものかというと、古くは中国をルーツにするものや、近代になって意外と適当にできたものなど、実はかなりバラツキがあります。
60年で十干十二支が一巡してもとの暦に還ることに由来。赤いちゃんちゃんこは赤子に戻りもう一度生まれ変わって出直すという意味。長寿祝いの色は赤・朱。
中国の詩人、杜甫の詩の一節「人生七十古来稀なり」に由来。長寿祝いの色は紫。
喜の字を分解すると十七の上に七が付いたような文字となることに由来。長寿祝いの色は紫。
傘の字の略字を分解すると八十となることに由来。長寿祝いの色は金茶。
米の字を分解すると八十八となることに由来。長寿祝いの色は金茶。
卒の字の略字「卆」が九十と読めることに由来。長寿祝いの色は白。
百の字から一を引くと「白」になることに由来。長寿祝いの色は白。
100歳であることから百寿。ひゃくじゅ。紀寿(きじゅ)とも。紀は一世紀を表すことから。長寿祝いの色は白。
茶の字を分解すると八十八、十、十となり、すべて合わせると108になることに由来。
皇の字を分解すると白(99歳)、一、十、一となり、すべて合わせると111になることに由来。
この年祝の年齢はいつ定められたものか様々な資料をたどっていくと、古代・中世・近世・現代と、人の寿命が伸びたことによって徐々に増え、また様々な意図をもって定められていったことが分かります。 もともと日本では、平安時代まで40歳から10年おきに行われていようで、その様子は奈良時代の資料などに残されていて、長屋王や聖武天皇が40歳になったことを寿ぐ祝典を行ったことなどが記されています。また平安時代の資料にも、年祝の記録が見られるそうです。
当時の寿命から考えれば、年祝も60歳くらいで充分だったと思います。平安時代に即位された天皇31代の平均寿命は44歳であったことから考えても、70歳の古希まで存命な人は本当に稀だったと思われます。
喜寿、米寿、白寿などが誕生したのは、鎌倉時代から安土桃山時代頃の中世です。
ここでひとつ疑問に思うのが、なぜ77歳、88歳、99歳という並び数字が年祝として選ばれたのかということです。
よく言われるのが、上にも書きましたが『喜=七十七』『米=八十八』『白=百ヒク一』という文字遊びによって選ばれたというものですが、本来この数字そのものに意味があります。
77、88、99は全て忌数、つまり縁起が悪い数字にあたります。
61歳の還暦、80歳の傘寿は、江戸時代に入ってからできた年祝です。
還暦は、干支が60年で一回りして61年目から新たに次のサイクルに入ることで、『暦が還る』という意味で還暦と名付けられました。また、61歳は男女ともに大厄の年にあたり、厄払いの意味も併せ持っています。 厄払いも年祝も人生の節目となる年齢を祝い祀る風習であることに変わりはありませんが、還暦は特に厄払いという側面が強いため、祝いの三点セットで使う色が、破魔や退魔を意味する赤色が選ばれています。
