千利休、陰陽師!?
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秀吉は天下人となったとき、都市改造を行う際、『平安京』を意識していたそうです。
平安時代は、怨霊や悪霊など、目に見えない存在がまだ信じられていて、陰陽師の活躍の場が多く存在した時代です。
秀吉は、百姓から天下人へと上り詰めた人物、実力もさることながら『運』もかなりのものだったでしょう。
そんな目に見えない『運』というものの存在は、秀吉にとってとても無視できないものだったと思います。
そんな秀吉が、都市改造のため平安京のことについて色々と調べ、平安時代の目に見えない存在に対して力を発揮した『陰陽師』に興味を持ったとしても、なんら不思議ではないと思います。
『自分も陰陽師を近くに置いて、政(まつりごと)をしよう』と考えたかもしれません。
秀吉は『晴明神社』の境内に屋敷を作って、利休に与えています。
晴明神社は、平安時代に活躍した陰陽師『安倍晴明』が亡くなったとき、一条天皇が建立した神社です。
利休にしてみれば、天下人・秀吉の命令に逆らうことはできなかったと思うので、そこに住み、陰陽道についても勉強したのだと思います。
その一端として、利休が完成させた『侘び茶』に、陰陽道の基本とされる『陰陽五行』を見ることができるからです。
侘び茶にに使われる、茶筅(木)、炉(火・土)、窯(金)、そして茶をたてる水(水)というように、五行がすべてに反映されているそうです。
